スタジオジブリより2023年7月14日に公開された映画『君たちはどう生きるか』。
プロモーションをほぼ行わないことでどのような映画なのかが公開日まで全く分かりませんでした。
タイトルからは「近年漫画化で話題になった同作品(原作は1937年に発売)なのでは?」と言われていたようですが…。
この漫画版を読んだこともあったので、ジブリ作品をめちゃ久しぶりに映画館で観てみようと思い、足を運びました。
この作品の感想や軽い考察などをこの記事でまとめようと思います。
作中のネタバレが非常に多くあるため、閲覧にはご注意ください!
前提
- ジブリ映画を観に行くのは『千と千尋の神隠し』以来20年ぶりくらい
- ジブリ映画は『となりのトトロ』を子供の頃から繰り返し視聴しているくらいで、全然詳しくありません
- 『ハウルの動く城』より後のジブリ作品はほぼ全て視聴していません
- 原作の『君たちはどう生きるか』は小説は読んでいません
感想を一言でまとめると
よく分からなかった…笑
もう少し細かく
物語の場面転換がそこそこあり、話の流れについて行くことで精一杯でした。
大雑把にまとめると以下のような感じ。
- 主人公は牧真人という少年
- 時代としては戦時中であることを示唆している
- 田舎に疎開した時に出会った異母とアオサギが物語に大きな影響を与える
- 物語中盤から異母を救うためにいきなり異世界へ行く
- 異世界で異母を救い、崩壊する世界から脱出して物語が終わる
『となりのトトロ』や『千と千尋の神隠し』のような現実世界をテーマにしつつファンタジーを織り交ぜたような作風とは違っていて、どちらかというと『火垂るの墓』のような戦争の悲惨さをテーマにしているのかな、と最初は思ったのですが良い意味でいつものジブリ作品のように私は感じました。
結局、途中からファンタジー要素全開で異世界を旅したりしています。
物語の目的があまり見えないまま話が進行していって、義母のナツコさんを救出することが目的になったかと思いきや別世界の命運をいきなり真人に託されたりして、話があちこちに飛んでいるという印象もあります。
映像に派手さがあるシーンはそこまで多くないです。
最終盤の世界が崩壊するシーンはすごかったですが、ここ以外はジブリ作品らしい非常に丁寧な作画に終始していました。
観て良かったと心から思える作品ではあります。
「もう一度観に行きたいか?」と聞かれたら即答でイエスと答えます。
ですが、結局何を伝えたかったのかとかテーマ性はよく掴めないまま終わってしまったのは否めないです。
アクション映画のような爽快感を重視したエンターテイメント性に優れた作品にしているとは思えないので、何かしらのメッセージはあるのかと思ったのですが…。
単純なエンターテイメント作品として観るのであれば、『となりのトトロ』とか『天空の城ラピュタ』の方が観終わった後の爽快感があると私は思いました。
自分なりに解釈をしてみる
映画を観終わった後、マックでビッグマックを食べながら一人で作品を振り返ることでようやく自分なりの解釈が出来上がりました。
本作のメッセージ―なぜ徹底的に情報を伏せているのか?
自分なりの考えや答えを持ちましょうというメッセージを込めているのかと思いました。
本作は登場人物やあらすじなどが一切公開されておらず、情報と言えるのはポスターに映るアオサギだけです。ですが、少なくとも私はこれがアオサギであることが分かったのは作品を観てからで、観る前は「鳥っぽいもの」という認識しか出来なかったです。
ここまででも普通ではないのですが、観終わった後に何か情報が増えるかなと期待していたのですが、そんなことはありませんでした。
例えば、スタッフロール。
通常は主人公はAさんが、ヒロインはBさんが演じているというようにクレジットされますが、本作はそのようなことはありません。
菅田将暉さんや木村拓哉さんが出演したことはスタッフロールに記載されていましたが、この二人に限らず他の方も作中のどのキャラクターを演じたのかが分からないようになっています。
菅田さんが一番上に名前があったので、主人公の真人を演じたのかな?と想像は出来ますが、特別出演の木村さんは「大おじさん…なのか…?」と疑問形になってしまいます。
主題歌を歌っている人物さえ分からないのでは…とちょっと恐くなったのですがそれはさすがにクレジットされていました。米津さんの『地球儀』、良い曲でしたね。
分からないことだらけなのでパンフレットでスタッフのインタビューとか見ようと思ったのですが、パンフレットも後日発売という徹底ぶり。
ここまで来ると、作品のことがどうこうというよりも何でここまで情報を隠すのかということに目が行きました。
この観点から作品について考えていったのですが、僕がしようとしていた「情報を知りたい」というのは「答えを知りたい」ということに繋がるのではないかと思いました。
作品の解釈は最終的には観た者に委ねられるとはいえ、基本的には「公式が発している情報」が限りなく正解に近いものとなります。
本作は可能な限りそれを伏せているのではないかと思いました。
「最終的にはどこかで何か情報を発しなければいけないタイミングは来るものの、その時までは自分で物語について考えてみてね」と言われているような気がしました。
それが正解かどうか、というか正解があるのかどうかも、記事公開時点では分からないのです。
この辺りは近年の技術の発達で主にスマートフォンを使って簡単に情報を得られるようになったことに対するメッセージなのかと思っています。
「君たちはどう生きるか」についてはそう簡単に知ることは出来ないよ、というような。
正解を求めようとするけれども、今はそれが出来ない。
物語を各々で咀嚼して、どのように見るかというのが「君たちはどう生きるか」のメッセージの1つだと私は思っています。
作中の考察
このような一切情報がない中で精一杯自分なりに考えたところ、以下のように思いました。
本作はシンプルな話で捉えると、『母を亡くした少年の不思議な物語』となります。
しかし、もっと複雑に考えようとするといくらでも複雑に考えられます。
例えば、あの塔の中はいくつもの世界に繋がっているようだけれど、それは一人ひとりが持っている世界を表しているのではないか?と考えました。
この世界というのは、二次元(空想)の世界も含んだ多種多様な世界。
そして、他の人の世界に足を踏み入れることも出来てしまう。
けれども、他の人の世界と自分の世界は見方や生き方が違うので、作中のインコのように姿が変わってしまいます。だけど、死ぬわけではなく、その世界に適応した形で生きていくことが出来る。
そのような他の人の世界に混ざって行くこともあるけれども、人は今を生きていかなければいけない。
これが「君たちはどう生きるか?」と問いかけているのではないでしょうか?
あと、大おじさん=宮崎駿さんをモチーフとしたような人物で、彼の作る作品もあの塔の中の世界にあるように見えましたね。
まとめ
事前情報が一切公開されず、パンフレットも公開と同時でなくしばらく経ってから発売するという、徹底して情報を伏せていることが話題になった『君たちはどう生きるか』。
私はこれを「自分なりの見方で作品をみて欲しい」と捉えました。
実際のところは宣伝のひとつとしか捉えていない可能性もあるのですが…。
パンフレットが8月11日に発売されますが、これを見てみたいという気持ちもありつつ、制作者の考えが示されることから、一種の答えが提示されることに少し寂しさを感じます。
ただ、ここまで観た映画についていろいろと考えたのも初めてなので、この記事の内容がどこまで制作者たちの意図から外れているのか(笑)をパンフレットを見て確認してみようと思います!
パッと思いつく疑問点
- ワラワラとは?
- 何故別の世界に母がいた?
- 母だけ名前が違うのは?ひさこという名前だったはず。
- 別の世界でおばあちゃんたちがお守りになっているのは?
- 大おじさんが別の世界にいた理由は?世界が崩壊しかけているとは?
- 石が重要なのはなぜ?
- アオサギが真人を塔に誘ったのは何故?
- インコたちが赤子がいるからという理由でナツコさんを食べなかった理由は?
- 別の世界から元の世界に戻る時にキリコがヒミと一緒に別の扉から出ていったのは何故?
- アオサギは真人のいる世界でも魚やカエルを呼んでいたが、これは何で出来た?
- 真人のお母さんは1年くらいいなくなっていた時期があるらしいが、これは何故?
- エンドロールで宮崎駿監督の名前が上に行き過ぎてから少し下がって真ん中に来るのは何故?
どこかでもう一度観るかもしれないので、その時は別途追記します。